ダンスとクリエーションで世界を魅了。原点には立教で学んだ“対話”の心

ダンサー・振付家 伊藤 郁女 さん

2023/06/08

立教卒業生のWork & Life

OVERVIEW

フランス北東部、アルザス地方の中心都市であり、中世のような美しい街並みで有名なストラスブール。この地にあるストラスブール・グランテスト国立演劇センター「TJP」のディレクターに、2023年1月、コンテンポラリーダンサー・振付家の伊藤郁女(かおり)さんが就任した。

©Laurent_Paillier

「フランス全土に約30の国立演劇センターがあり、日本でいう『芸術監督』にあたるディレクターには多くの場合、演出家が選ばれます。なので、日本人としてだけでなく、振付家としても初めてですね」

凛とした声でそう語る伊藤さんは、フランスを拠点にダンサーとして名だたる振付家の舞台に立つ傍ら、自身のダンスカンパニーを率いて世界各地で公演。15年にはフランス政府より芸術文化勲章「シュヴァリエ」を受章するなど、数々の功績が今回の任命につながった。

2018年、パリの「104Paris」で行われた公演『Robot, l’amour éternel』(ロボット、私の永遠の愛) ©Laurent_Paillier

「とはいえ公募なので、今後10年で何をやるかを全部書いて提出しないといけなくて大変だったんですけど(笑)。目指しているのは、子どもたちとアーティストが対話を重ね、一緒にクリエーションを行う場。日本の精神性や哲学も取り入れ、異なる世代・文化・分野が混ざり合ったプロジェクトを展開していきたいと考えています」

ダンス一筋の人生の中で「必要だった」立教での日々

ダンスの出発点は5歳で始めたバレエ。写真は中学時代

彫刻家の両親の下に生まれた伊藤さんが、ダンスと出合ったのは5歳のとき。

「両親の膝の上で、すごい力でジャンプしていたらしくて。この足腰の強さはダンス向きなんじゃないか、となってバレエ教室に通い始めたんです」

その中で「日本人なのになぜヨーロッパのまねをするのか疑問に思うようになって」、17歳でコンテンポラリーダンスに転向。その頃には、早くも目は世界に向いていた。

ブラジル発祥の伝統舞踊カポエラに熱中していた18歳の時

「自分で振り付けた作品が賞を受賞して手応えもあり、海外でちゃんと技術を学ぼうと。同時に日本の大学にも興味があり、縁あって立教大学に入学しました」

一見、ダンスとは関係ない総合大学への進学。しかし、「実はこの立教での経験が大きかったんです」と伊藤さんは目を輝かせる。

「当時、文学部では学科を横断する『比較文芸・思想コース※1』が設置されていたのですが、これが面白くて。自分たちでアートを制作し、自分たちで批評するんです。映画監督の篠崎誠※2先生の授業では、映画をつくってOBの黒沢清※3監督や青山真治※4監督にコメントを頂いたこともありました」

※1 比較文芸・思想コース:1998~2005年度。2006年度に設置された文学部文学科文芸・思想専修、現代心理学部映像身体学科の前身。
※2 篠崎誠:現・現代心理学部教授。映画監督、脚本家、映画批評家。
※3 黒沢清:映画監督。1980年社会学部卒業。
※4 青山真治:映画監督。1989年文学部卒業。2022年逝去。
さらに心を動かされたのは、教員と学生の「対話」による学びだった。

「ゼミの担当教員であった前田一男※5先生に、『ダンスとは何か』『社会にアートの居場所はあるのか』といった質問をよくぶつけていたんですが、先生は常に『一緒に考えていこうか』というスタンスで。篠崎先生もそうでしたね。文学部には、学生が大学側へカリキュラムなどについて要望を出す『文学部集会※6』という場もありました。先生と学生で答えを探していく、一緒に学びをつくっていく。これこそが『立教らしさ』だと思います」

※5 前田一男:名誉教授、元・文学部教授。
※6 文学部集会:文学部の教員と学生が、次年度以降のカリキュラムに関する質疑応答などを行う集会で、現在も年1回開催。

在学時代の「大人との対話」の数々を、今も鮮明に覚えているという伊藤さん。授業以外でも、サッカーサークルのマネージャーを務めたり、友人と演劇を制作したり、青春を謳歌おうかした。

「立教での日々は、社会とコンタクトしていた時期。ダンスのコミュニティーを離れて、立教の『窓』から世界を見た経験は、私にとって必要で、かけがえのないものになりました」

著名な振付家たちに体当たりでアプローチ

立教大学在学中に、ニューヨークへのダンス留学も経験。03年に卒業後、文化庁の奨学金で再び渡米すると、アルベールビルオリンピックの開会式等の演出で知られる振付家、フィリップ・ドゥクフレの舞台に抜擢され、フランスに居を移した。

「でも他にあてがあったわけじゃなくて。コンテンポラリーダンスの本を見て、好きな振付家のリストをつくり、片っ端から会いにいきました。ゲリラ的に、劇場に突撃したことも(笑)」

体当たりで自らを売り込み、舞台に立つうちに、高名な振付家から次々とオファーが舞い込むようになる。だが、当時の伊藤さんが見据えていたのは、さらに「その先」だった。

「目指していたのは、自分のダンスカンパニーを立ち上げ、自由に作品をつくること。そのために、まずはダンサーとしての地位を確立する必要があったんです」

信じた道を貫き、「言い続ける」ことで夢は現実になる

数多くの経験を積んだ後、15年にカンパニー「HIME(ヒメ)」を設立。自ら手掛けた初の作品『私は言葉を信じないので踊る』では、実の父親と共演した実験的な試みが大きな話題に。世界40都市で100回以上公演を行い、振付家・クリエーターとしても注目される存在となった。

そして23年、フランスの国立演劇センター「TJP」のディレクターに就任。大所帯を率い、今やダンスの枠を超えたクリエーションに携わる伊藤さんだが、「こういうチームで動くときの土台になっているのが、まさに立教時代に身に付けた『対話』なのです」と力を込める。

「決して一方通行にならないように、ダンサーや関わる人々のやりたいことを聞き、対話的に、共につくり上げていくのが私のスタイル。立教で学んだスピリットが、ずっと自分の中心軸になっています」

池袋キャンパスでの取材時、本館にて

日本でもコンスタントに公演を行っているが、今後も拠点はフランスに置く予定。

「日本は私にはちょっと窮屈で、海外が合っているんです。でも、今もKAAT(神奈川芸術劇場)向けに作品をつくっていますし、『TJP』に日本人アーティストを呼ぶこともあるので、そういう形で関わり続けられたら」

「もはや外国人なので」と笑みを浮かべるが、それでも「立教のことはずっと好きですね」と伊藤さん。

「卒業生の集まり『パリ立教会』にはお世話になっていますし、OBの現代美術家、杉本博司※7さんともたまにお会いします。帰国したら先生方にも会いに行くなど、つながりは持ち続けています」

そして、そんな母校の後輩たちに、こんな言葉を贈ってくれた。

「若い人は、一度始めたことを簡単にやめないでほしいですね。最近は情報や選択肢が多すぎて、すぐ諦めがち。でも、一つのことを続けていれば、必ず道が開けてくる。自分を信じて『言い続ける』ことで夢はかないます。現に、私はそうでしたから」

※7 杉本博司:現代美術家。1970年経済学部卒業。
KAATキッズ・プログラム2023『さかさまの世界』
フランスの子どもたちと共に創作した舞台の日本バージョン。さかさまになった世界を救うカギは、子どもたちの秘密や発想力!“4歳から150歳”に向けた、子ども心を揺さぶるダンス作品です。
振付・構成・演出/伊藤郁女
出演/川合ロン・Aokid・岡本優・石川朝日
日程/6月下旬~7月上旬
会場/KAAT 神奈川芸術劇場〈大スタジオ〉(神奈川県横浜市中区山下町281)
※料金・公演日程などの詳細はWebサイトにてご確認ください。

プロフィール

PROFILE

伊藤 郁女さん

ダンサー・振付家
2003年 文学部教育学科卒業

愛知県豊橋市生まれ、東京都育ち。18歳で新人ダンサー・振付家として「榎本了壱賞」を受賞。立教大学卒業後に渡米、アルビン・エイリー・ダンスシアターにて研さんを積む。フランスへ渡り、フィリップ・ドゥクフレ、アンジュラン・プレルジョカージュらの作品に参加。15年にカンパニー「HIME」を設立。同年SACDより新人優秀振付賞受賞、フランス政府より芸術文化勲章「シュヴァリエ」受章。他にも22年の日本ダンスフォーラム大賞など、国内外の賞を多数受賞。新作を精力的に発表し、年に1~2回は日本公演も行っている。

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